
映画『未来のミライ』が気持ち悪いという感想を目にして、その理由を知りたいと思っていませんか。
主人公のくんちゃんがうざいと感じたり、物語の展開にイライラする、声優の演技がひどいなど、様々な意見があります。
また、舞台となる家が危ないのではないかという指摘も。
この記事では、あらすじをネタバレありで追いながら、作品が伝えたいことや結末に触れ、なぜそのような評価が生まれるのかを徹底的に解説します。
🎥この作品は、妹が生まれた4歳の男の子の嫉妬や戸惑いといった内面を、時空を超えた不思議な体験を通して描く物語です。
子供のリアルな心理描写や、家族のつながりという深いテーマを味わいたい人には特におすすめですが、爽快なエンターテインメントや、共感しやすい主人公を求める人には向いていません。
作品情報
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 劇場公開日 | 2018年7月20日 |
| 監督 | 細田 守 |
| 上映時間 | 約98分 |
ふむふむ、また一つ謎が見えてきたぞ。
観客を不安にさせたのは、ただの演出じゃない。
『未来のミライ』の“気持ち悪さ”には、監督の狙いという名のトリックが潜んでいるようだ…。
「未来のミライ」が気持ち悪いと評される主な理由
- 物語のあらすじをネタバレありで紹介
- 主人公くんちゃんがうざいと不評な点
- 主人公を担当した声優への賛否両論
- 舞台となる独特な家のデザイン
- なぜあの家は危ないと言われるのか
- 展開にイライラするとの感想が多い背景
物語のあらすじをネタバレありで紹介

物語は、4歳の男の子「くんちゃん」の家に、生まれたばかりの妹「ミライ」がやってくるところから始まります。
これまで両親の愛情を独り占めしてきたくんちゃんにとって、妹の存在は大きな戸惑いと嫉妬の対象でした。
両親の関心がミライに集中する中、くんちゃんは疎外感を覚え、癇癪を起こしては家の中心にある庭へと逃げ込みます。
すると、その庭は不思議な世界への入り口となり、時空を超えた家族との出会いを引き起こします。
時空を超えた出会いの数々
くんちゃんは庭を通じて、以下のような不思議な体験を重ねます。
- 未来の妹「ミライちゃん」:中学生の姿で現れ、くんちゃんを「お兄ちゃん」と呼びます。
- 謎の男:かつてこの家の王子だったと名乗る男。その正体は人間化した飼い犬の「ゆっこ」でした。
- 幼い頃の母親:自分と同じように散らかし屋でわがままだった母の姿に触れます。
- 若き日の曽祖父:活気あふれる青年時代の曽祖父から、困難に立ち向かう勇気を学びます。
- 未来のくんちゃん(高校生):小さな駅の待合室で、家出したくんちゃんを諭します。
物語のクライマックスは、家出をしたくんちゃんが未来の東京駅で迷子になるシーンです。
両親の名前を言えず、ひとりぼっちの国へ行く新幹線に吸い込まれ送られそうになる恐怖を体験します。
彼と同じく連れて行かれそうになる赤ん坊のミライを目撃します。
この瞬間、「ミライちゃん、そっちにいっちゃダメ」と叫んで必死に妹を守ります。
この精神的な成長がきっかけとなり、未来のミライに助けられ、くんちゃんは無事に元の時代へ帰還。
物語は、彼が「お兄ちゃん」としての新しい役割を受け入れ、家族と新たな関係を築き始める姿を描いて幕を閉じます。
主人公くんちゃんがうざいと不評な点
本作の評価が分かれる最大の要因の一つが、主人公「くんちゃん」のキャラクターです。
多くの視聴者から「うざい」「見ていてイライラする」といった声が上がっており、感情移入が難しいという意見が少なくありません。
その理由は、細田守監督が4歳児のリアルな姿を徹底的に追求した結果、くんちゃんが非常に自己中心的で、感情のコントロールができない子供として描かれているためです。
例えば、以下のような行動が視聴者の反感を買う原因となりました。
- 生まれたばかりの妹に嫉妬し、おもちゃの電車で叩こうとする。
- 気に入らないことがあると、場所をわきまえず大声で泣き叫ぶ。
- 「好きくない」という独特の否定的な言葉を繰り返す。
これらの行動は、子育て経験者にとっては「あるある」と共感できる部分かもしれませんが、エンターテインメントとして物語を楽しみたい多くの観客にとっては、単なるわがままな子供に映り、不快感を与えてしまったのです。
主人公を担当した声優への賛否両論
くんちゃんのキャラクターに加えて、彼の声を担当した俳優・上白石萌歌さんの演技も賛否両論を巻き起こしました。
細田監督は、より自然で生々しい子供の声を求めて、プロの声優ではなく俳優を起用する戦略を取りました。
この試みは、一部では成功したものの、多くの視聴者にとっては大きな違和感として受け取られました。
批判的な意見として特に多かったのが、以下の2点です。
- 声質への違和感:「4歳の男の子の声には聞こえず、女の子の声にしか聞こえない」という指摘が多数ありました。
- 演技への不快感:特に泣き叫ぶシーンの演技が「リアルすぎて耳障り」「ただただ不快」と感じられ、視聴者が物語に集中するのを妨げる要因となりました。
以下は、キャラクターと声優の紹介です。
くんちゃん:上白石萌歌
妹の誕生に戸惑う4歳の主人公。

ミライちゃん:黒木華
未来からやってきた中学生の妹。

おとうさん:星野源
在宅勤務の建築家。

おかあさん:麻生久美子
仕事に復帰する母親。

青年:福山雅治
若き日の曽祖父。

舞台となる独特な家のデザイン

物語のほとんどが展開される「家」もまた、本作の評価を語る上で欠かせない要素です。
この家は、単なる背景ではなく、物語のテーマを象徴する重要なキャラクターとしてデザインされています。
設計を手掛けたのは、実在の建築家である谷尻誠氏。彼の独創的なアイデアにより、非常にユニークな空間が生まれました。
家の主な特徴
- 段差のある構造:斜面に建てられており、家の中はステップフロアで構成されています。
- 中心にある庭:家の真ん中に小さな庭があり、ここが過去と未来をつなぐ不思議な空間(ポータル)となります。
- 開放的な空間:壁が少なく、各フロアがつながっているようなデザインで、家族のつながりを視覚的に表現しています。
このデザインは、家族それぞれの領域を保ちつつも、ゆるやかにつながっている現代の家族像を象徴しています。
細田監督は、この家を「映画的なダイナミズム」を持つ空間として意図し、物語に深みを与える装置として活用しました。
なぜあの家は危ないと言われるのか

芸術的・象徴的な意味を持つ一方で、この家のデザインは多くの視聴者、特に子育て中の親から「危ない」「非現実的だ」という厳しい批判を受けました。
その理由は、幼い子供が安全に暮らすための配慮が著しく欠けているように見える点にあります。
指摘された危険なポイント
- 無数の階段と段差:手すりが十分に設置されておらず、転倒や転落のリスクが高い。
- 吹き抜けの空間:フロア間に柵などがなく、子供が落下する危険性が感じられる。
このような設計は、建築家である父親が「家族の安全よりもデザインを優先している」という印象を与え、キャラクターへの共感を損なう一因となりました。
結果として、この家は物語の象徴であると同時に、多くの観客がリアリティを感じられずに没入感を失う原因ともなりました。
展開にイライラするとの感想が多い背景
「ストーリーが単調でイライラする」「何を見せられているのか分からなかった」という感想も、本作に対して頻繁に聞かれる意見です。
これは、物語が明確な目標に向かって進む直線的な構成ではなく、主人公くんちゃんの感情的な危機をきっかけにした短いエピソードの繰り返しで成り立っているためです。
具体的には、以下のようなパターンが何度も繰り返されます。
くんちゃんの不満が爆発 → 庭で不思議な体験をする → ほんの少しだけ精神的に成長する
この構造は、従来の冒険活劇や分かりやすい成長物語を期待していた観客にとっては、目的が見えず、展開が散漫に感じられたようです。
しかし、これもまた監督の意図的な選択でした。
気持ち悪い「ひとりぼっちの国」へ向かう新幹線


本編開始から1時間19分頃。光をまとい、夜の街を疾走する不思議な“新幹線”が登場します。
そのフロント部分には人間の歯を思わせる白いモチーフが並び、まるで巨大な口を開けて笑っているように見えます。
どこか滑稽でありながらも不気味で、見ているだけで背筋がぞくりとするような存在感を放っています。
これから向かうのは「ひとりぼっちの国」。その名のとおり、孤独で不快な世界へと誘われるような印象を与えます。
車体の側面からは青やピンクの光が帯のように流れ、スピードとともに霧のようなエネルギーが噴き出しているように見えます。
幻想的でありながら、現実離れした不安な雰囲気を生み出しています。
さらに、車内に吸い込まれたくんちゃんの視界には、真っ赤な光に包まれた空間が広がります。
骸骨のような姿の存在が整然と座席に並び、まるで無言の乗客たちが永遠に行き先を待っているかのようです。
赤い照明が血のように空間を染め、異世界の警報のような緊張感を漂わせています。
この光景は、まさに「気持ち悪いシーン」と呼ぶにふさわしいものです。見る者の心に不安と恐怖を残し、強烈な印象を与える場面となっています。
気持ち悪い描写に隠された「未来のミライ」の意図
- 「内容がひどい」という評価の真相
- 細田監督が作品で伝えたいこと
- 物語の結末が暗示するテーマとは
- まとめ:「未来のミライ」が気持ち悪い理由を考察
「内容がひどい」という評価の真相
本作に寄せられる「内容がひどい」という辛辣な評価は、その多くが観客の期待とのミスマッチに起因しています。
『時をかける少女』や『サマーウォーズ』といった過去作のイメージから、多くの観客は爽快な冒険活劇や感動的なストーリーを期待していました。
しかし、『未来のミライ』が提示したのは、非常に小規模で内省的な、ある一家の日常と一人の幼児の心理描写でした。
この作品は、細田監督自身の二人の子供との経験から着想を得た、極めて個人的で自伝的な物語です。
監督は、大衆受けする分かりやすいエンターテインメントを目指すのではなく、幼児期特有の生々しい感情や、現代の家族が直面するありふれた、しかし複雑な現実を正直に描くことを選びました。
その結果、壮大な物語を期待していた観客にとっては肩透かしとなり、「内容が薄い」「退屈だ」という失望感につながったのです。
つまり、「ひどい」という評価は、作品の質そのものというよりは、宣伝イメージと実際の内容との間に存在した大きなギャップが生んだものと言えるでしょう。
細田監督が作品で伝えたいこと

一見すると難解に思えるこの物語には、細田監督からの明確なメッセージが込められています。その核心は、主に二つのテーマに集約されます。
一つ目のテーマは、「時間の大河としてつながる家族の系譜」です。
個人は孤立した存在ではなく、遠い祖先から未来の子孫へと続く、長く壮大な物語の一部であるという考え方です。
くんちゃんが時空を超えて幼い母や若き曽祖父に出会う旅は、まさに自分という存在が、多くの過去の積み重ねの上にあることを発見していくプロセスなのです。
二つ目の、より重要なテーマは、「愛を与えることによって築かれるアイデンティティ」です。
物語の冒頭、くんちゃんは愛を「受け取ること」で自分を定義していました。
しかし彼の真の成長は、東京駅で妹ミライを守るために「お兄ちゃんだ!」と叫び、他者への責任を引き受けることで愛を「与える」ことを選んだ瞬間に訪れます。
真の自己は、他者との関係性の中で役割を担い、責任を果たすことによってはじめて確立される、という深遠なメッセージが本作の根底には流れています。
物語の結末が暗示するテーマとは
物語の結末は、東京駅での恐怖体験を乗り越え、精神的な成長を遂げたくんちゃんが現実世界に戻ってくる場面で締めくくられます。
以前はあれほど執着していた黄色いズボンに見向きもせず、妹のミライちゃんに自らバナナを分け与える姿は、彼がもはや愛を奪われることに怯えるだけの存在ではなく、他者に愛を与えることができる「お兄ちゃん」になったことを明確に示しています。
これは、前述の「愛を与えることによるアイデンティティの確立」というテーマが達成された瞬間です。
最後、家族全員でキャンプ旅行の準備をするシーンは、一つの危機を乗り越えた家族が、新たな関係性を築きながら未来へと歩み出していく希望を暗示しています。
くんちゃんの成長は、彼個人だけでなく、家族全体のシステムをより成熟させ、新たな段階へと進ませるきっかけとなったのです。
この結末は、家族とは固定されたものではなく、メンバーそれぞれの変化や成長を通じて、絶えず形を変えながら続いていくダイナミックな営みであることを、静かに、しかし力強く物語っています。
まとめ:「未来のミライ」が気持ち悪い理由を考察
本記事のポイントをまとめます。
- 『未来のミライ』が気持ち悪いと評されるのは監督が幼児のリアルな心理を妥協なく描いた結果である
- 主人公くんちゃんのわがままな行動は4歳児の自己中心性を正直に表現している
- 上白石萌歌さんの声優起用はリアリティを追求したが多くの観客に違和感を与えた
- 物語の繰り返し構造は4歳児の混沌とした世界認識を模倣した芸術的試みだった
- 「内容がひどい」という評価は壮大な冒険活劇を期待した観客とのミスマッチが原因である
- 作品のテーマは世代を超えた家族のつながりという壮大な視点を含んでいる
- 結末ではくんちゃんが兄としての役割を受け入れ精神的に成長した姿が描かれる
- 最終的に家族が新たな関係を築き未来へ進む希望が暗示されている
- 本作は観る者に安らぎではなく自身の経験と向き合うことを求める鏡のような作品
- 賛否両論が巻き起こったこと自体がその芸術的挑戦の成功を示している
- 不快に感じる描写こそが本作のテーマを支える重要な柱となっている
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