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プラトーンのバーンズは正しい?善悪の境界線を考察

プラトーンのバーンズは正しい?善悪の境界線を考察

映画『プラトーン』を観た多くの人が抱くであろう問い、「バーンズの行動は、果たして正しかったのか」。

この記事では、「プラトーン バーンズ 正しい」というキーワードで検索されたあなたの疑問に答えるため、物語の核心を深く掘り下げていきます。

作品のあらすじやネタバレに触れながら、冷酷非情なバーンズの最後と、対照的に多くの人がエリアスはかっこいいと感じる理由を解き明かします。

また、映画史に残るエリアスの最期や、あの有名なエリアスのポーズが持つ意味、そして物語のラストシーンが観る者に残す深いトラウマについても考察します。

さらに、この衝撃的な物語が実話に基づいているのかという点も検証し、タイトルのプラトーンが持つ意味まで、多角的な視点から徹底的に解説します。


引用 Amazon

映画『プラトーン』

こんな人におすすめ
・戦争映画のリアルさを求める人
・人間の善悪の葛藤に関心がある人
・重厚な社会派ドラマを好む人

おすすめできない人
・残虐描写に耐性がない人
・娯楽性重視で軽快さを求める人
・戦争映画そのものが苦手な人

💬 一言アドバイス
この作品は、ベトナム戦争を通して人間の内面に潜む善と悪を鋭く描いた社会派戦争ドラマです。

戦争の現実や心理的葛藤を深く考えたい人には特におすすめですが、暴力描写や重苦しいテーマが苦手な人には向きません。


この記事でわかることポイント

  • バーンズとエリアスの思想や行動の対立構造
  • 映画の象徴的なシーン(エリアスの最期など)が持つ深い意味
  • バーンズの行動が「正しい」のかを多角的に考察する視点
  • 物語の結末が示す、戦争が人間の魂に残す影響

作品情報

項目詳細
劇場公開日1986年12月19日(アメリカ合衆国)1987年4月29日(日本)
監督オリバー・ストーン
上映時間120分

ふむふむ、なるほど…『プラトーン バーンズ 正しい』という謎を追えば、戦場に潜む善悪の境界線が見えてくる。真実は一つではなく、人の心に二つの影が潜んでいるのだな。


プラトーンのバーンズは正しい?物語の核心

  • 物語の前提となるプラトーンの意味
  • 結末までのあらすじとネタバレ
  • バーンズは悪か、それとも戦場の現実主義者か?
  • なぜエリアスはかっこいいと評されるのか
  • 映画史に残るエリアスの最期
  • 象徴的なエリアスのポーズが持つ意味

物語の前提となるプラトーンの意味

物語の前提となるプラトーンの意味
映画探偵イメージ

映画『プラトーン』のタイトルは、物語を理解する上で最初の鍵となります。この「プラトーン」とは、軍隊の編成における「小隊」を意味する英語です。

一般的に、軍隊は大規模な師団から、より小さな旅団、大隊、中隊、そして小隊へと細分化されていきます。

小隊(プラトーン)は、通常30名から50名程度の兵士で構成され、前線での戦闘における基本的な行動単位です。

主人公クリス・テイラーが配属されたのも、まさにこの一つの「プラトーン」でした。

しかし、オリバー・ストーン監督がこのタイトルに込めたのは、単なる軍事単位としての意味だけではありません。

この小隊は、当時のアメリカ社会の縮図として描かれています。裕福な家庭出身の者、貧困層、少数民族など、様々な背景を持つ若者が集められた閉鎖的な空間です。

そのため、物語で描かれる対立は、単なる兵士同士のいさかいに留まりません。

それは、極限状態に置かれた人間社会そのものの内部崩壊であり、兵士一人ひとりの心の中に存在する善と悪の葛藤をも象徴していると考えられます。


結末までのあらすじとネタバレ

結末までのあらすじとネタバレ
映画探偵イメージ

『プラトーン』の物語は、観る者に戦争の過酷な現実を突きつけます。ここでは、物語の結末を含むあらすじを解説します。

1967年、大学を中退し、自ら志願してベトナム戦争に参加したクリス・テイラー。彼が配属された第25歩兵師団の小隊(プラトーン)には、二人の対照的な軍曹がいました。

一人は、幾多の死線を乗り越え、顔に深い傷跡を持つ冷酷な現実主義者、ボブ・バーンズ軍曹。もう一人は、人間性を重んじる理想主義者、エリアス・グロージョン軍曹です。

クリスは当初、エリアスの人道的な姿勢に惹かれますが、小隊は次第にこの二人を中心に二つの派閥に分裂し、緊張が高まります。

対立が決定的に爆発するのは、ある村での捜索任務です。仲間を殺された報復心から、バーンズとその部下たちは無抵抗の村人たちに拷問や虐殺といった非人道的な行為に及びます。

これをエリアスが激しく非難し、軍法会議にかけると宣言したことで、二人の関係は修復不可能になります。

その後の戦闘の混乱の中、バーンズはエリアスを背後から銃撃し、見殺しにします。

ヘリで撤退するクリスたちの目の前で、瀕死のエリアスは敵兵に追われ、天を仰ぐ有名なポーズで絶命します。

エリアスの死がバーンズの仕業だと確信したクリスは、復讐を誓います。

物語のクライマックス、部隊は北ベトナム軍の総攻撃を受け壊滅。地獄のような一夜が明けた後、生き残ったクリスは重傷を負ったバーンズと対峙し、自らの手で彼を射殺します。

負傷したクリスは後送のヘリに乗せられ、眼下に広がる惨状を静かに見下ろします。

そこで彼は悟ります――あの戦争で僕たちが本当に戦っていたのは敵軍ではなく、自分自身だったのだ。敵は常に、僕らの心の中にいたのだと。そうして物語は静かに幕を閉じます。


バーンズは悪か、それとも戦場の現実主義者か?

プラトーンのバーンズは正しいのか? 善悪の境界線を探る
映画探偵イメージ

映画『プラトーン』で描かれるバーンズ軍曹の姿は、観客に大きな問いを投げかけます。「彼の行動は正しかったのか?」というテーマは、戦場の倫理観そのものを揺さぶるものです。

肯定的な見方
バーンズは戦場で生き残るために、時に冷酷で非情な判断を下しました。

民間人に対する残虐行為や仲間への強圧的な支配も、彼にとっては「部隊を守るための現実的な手段」だったとも言えます。

極限の戦場では、道徳や良心よりも生存が優先されるのだという考え方です。

否定的な見方
一方で、バーンズの行動は明らかに戦争犯罪であり、倫理的には決して正当化できません。

エリアスを裏切り、民間人を虐殺した彼の姿は、人間性を完全に失った戦争の怪物そのものです。

戦場であっても守るべき一線があり、バーンズはその境界を越えてしまったといえます。

このようにバーンズの存在は、善と悪、理想と現実の境界を曖昧にし、観客に「戦場で正しさとは何か」を問い続けるのです。


なぜエリアスはかっこいいと評されるのか

なぜエリアスはかっこいいと評されるのか
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『プラトーン』において、エリアス軍曹が多くの観客から「かっこいい」と評されるのには、明確な理由が存在します。

彼の魅力は、地獄のような戦場にあってなお、人間としての尊厳と良心を失わなかった精神的な強さにあります。


狂気に屈しない高潔な精神

周囲の兵士たちが戦争の狂気に蝕まれ、民間人への虐待や無意味な殺戮に手を染めていく中で、エリアスはただ一人、断固としてそれに「NO」を突きつけました。

彼は、敵であっても必要以上の暴力を振るわず、罪のない村人を守ろうとします。

誰もが正気を失っていく状況で、唯一「人間としての良心」を保ち続けた彼の姿は、暗闇の中の灯火のように際立って見えます。


理想を支える圧倒的な実力

ただし、エリアスは単なる心優しい理想主義者ではありません。

彼は兵士として極めて優秀であり、「ジャングルのことは知り尽くしている」と仲間から評されるほどの卓越した戦闘スキルを持っていました。

この圧倒的な実力が、彼の人道主義に説得力を持たせています。弱い者が何を言っても綺麗事に聞こえてしまいますが、誰よりも強いエリアスが言うからこそ、その言葉には重みと真実味があったのです。


バーンズとエリアスの対比

彼の魅力は、冷酷なバーンズ軍曹との対比によって一層鮮明になります。両者の思想や行動は多くの点で対照的であり、この二項対立が物語の核心を成しています。

項目ボブ・バーンズ軍曹エリアス・グロージョン軍曹
思想現実主義(生き残るためには非情な手段も厭わない)理想主義(戦場でも人間性と道徳を維持すべき)
行動民間人への虐待、拷問、殺害を主導民間人への暴力を制止し、保護しようと努める
部下との関係恐怖による支配、絶対的な服従を求める信頼と尊敬に基づく関係、部下を守ろうとする
戦争への適応戦争の狂気に適応し、自身もその一部と化す戦争の狂気に抵抗し、人間性を守り抜こうとする

要するに、エリアスのかっこよさとは、誰よりも強く、そして誰よりも優しいという、相反するように見える二つの要素が奇跡的なバランスで共存している点にあります。

地獄の戦場でその気高い魂を最後まで燃やし続けた彼の生き様そのものが、私たちの心を捉えて離さないのでしょう。


映画史に残るエリアスの最期

エリアス軍曹の最期は、単なる一兵士の死としてではなく、映画史全体においても屈指の名場面として語り継がれています。

このシーンは、物語の決定的な転換点であり、戦争の悲劇性と裏切りの残酷さを強烈に描き出しました。

前述の通り、エリアスの死の直接的な原因は、敵兵の銃弾でした。しかし、その状況を作り出したのは、味方であるはずのバーンズ軍曹の裏切りです。

バーンズは戦闘の混乱に紛れてエリアスを撃ち、部隊本隊から孤立させました。そして、「エリアスは敵にやられた」と虚偽の報告をし、彼を見殺しにしたのです。

部隊がヘリコプターで戦場から離脱する中、クリスたちは眼下で信じられない光景を目撃します。

瀕死のはずのエリアスが、無数の敵兵に追われながらも、最後の力を振り絞って逃げて走っています。

しかし、致命傷を負った彼に逃げ切る力は残っていませんでした。

サミュエル・バーバー作曲の荘厳なBGM「弦楽のためのアダージョ」が流れる中、スローモーションで描かれる彼の死は、観る者に深い悲しみと無力感を刻み付けます。

この演出は、彼の死が個人的な悲劇に留まらず、戦争という大きな不条理の中で失われていく「良心」そのものの死であることを象徴しています。


象徴的なエリアスのポーズが持つ意味

象徴的なエリアスのポーズが持つ意味
映画探偵イメージ

エリアスの最期において、最も印象的なのが、彼が膝から崩れ落ちながら両腕を天に掲げる、あの象徴的なポーズです。

このポーズは映画のポスターにも使用され、『プラトーン』という作品そのものを象徴するビジュアルとなりました。この姿には、様々な解釈が可能な深い意味が込められています。

最も一般的な解釈は、十字架にかけられたイエス・キリストの姿との重ね合わせです。

仲間(バーンズ)の裏切りによって死に追いやられ、罪なくして犠牲になる姿は、まさに「戦場の殉教者」と言えます。

両腕を広げるポーズは磔刑のイメージと直結し、彼が小隊の「善」や「良心」を一身に背負って死んでいったことを暗示しています。

また、言葉にならない叫びの表現とも考えられます。

理不尽な裏切りと戦争の不条理に対する「なぜだ」という天への問いかけであり、彼の無念の感情が全身で表現されているようにも見えます。

さらに、これは単なる絶望のポーズではなく、最後まで人間としての尊厳を失わなかった彼の、最後の抵抗の意志表示とも解釈できるでしょう。

銃弾を浴びながらも天を仰ぐその姿は、「お前たち(戦争の狂気)に魂までは屈しない」という、力強い人間性の叫びのようにも感じられます。


多角的に考察!プラトーンのバーンズは正しいか

  • 対するバーンズの最後とは
  • 物語のラストシーンが問いかけるもの
  • 兵士が負うトラウマのリアルな描写
  • この物語は実話が元になっているのか
  • 総括:プラトーンのバーンズは正しいのか
  • 対するバーンズの最後とは

対するバーンズの最後とは

対するバーンズの最後とは
映画探偵イメージ

エリアスの高潔な最期とは対照的に、バーンズ軍曹の最後は、戦争が生み出した怪物の末路として描かれます。

クライマックスの北ベトナム軍による大規模な夜襲で、小隊は壊滅的な打撃を受けます。バーンズもまた、この戦闘で重傷を負いました。

地獄のような夜が明け、あたり一面に死体が転がる中で奇跡的に生き延びたクリスは、同じく負傷して倒れているバーンズを発見します。

この時の二人の間に、長い会話はありません。バーンズはクリスを挑発するように見つめ、「撃て」とでも言うかのように静かに彼を待ち受けます。

クリスは、傍らに落ちていた敵の銃を拾い上げ、憎しみの連鎖を断ち切るかのように、自らの手でバーズにとどめを刺します。

バーンズの死は、単なる「悪役の死」では終わりません。

彼の死は、クリスにエリアスのための復讐を完遂させると同時に、クリス自身がかつて軽蔑していたはずの「殺人者」になってしまったことを意味します。

法や軍規ではなく、私的な憎悪によって人を殺す。それはまさにバーンズが体現していた「戦場の掟」そのものでした。

したがって、バーンズを殺すことで、クリス自身もまたバーンズの一部を取り込んでしまった、という複雑な結末を迎えるのです。


物語のラストシーンが問いかけるもの

物語のラストシーンが問いかけるもの
映画探偵イメージ

『プラトーン』のラストシーンは、バーンズの死で終わるわけではありません。

負傷したクリスがヘリコプターで後送される場面と、彼の静かな独白(モノローグ)によって、物語は締めくくられます。この最後の独白こそ、映画全体のテーマを集約したものです。

眼下に広がる無数の死体を見下ろしながら、クリスは語ります。 「僕たちは敵と戦っていたのではない。

自分自身と戦っていたのだ。敵は我々の中にいた」 そして、「今振り返れば、僕の中に二人の父親がいた。バーンズとエリアスだ。

一人は善で、一人は悪。二人は僕の魂を奪い合い、僕の心の中で生き続け、戦い続けるだろう」と続けます。

この独白が示すのは、この戦争の最大の敵が北ベトナム軍ではなく、兵士たちの心の中に巣食う恐怖、憎悪、そして狂気、つまり「内なる自分自身」であったという真実です。

バーンズ(悪)とエリアス(善)は、単なる登場人物ではなく、クリス自身の、そしてあらゆる人間の心の中に存在する二つの側面の象徴です。

戦争は終わっても、この二つの価値観の戦いは、生き残った者の心の中で永遠に続くという、重い現実を突きつけます。

クリスは肉体的には生き残りましたが、その魂は癒えることのない傷を背負い、矛盾を抱えたまま、その先の人生を生きていく義務を自覚するのでした。


兵士が負うトラウマのリアルな描写

兵士が負うトラウマのリアルな描写
映画探偵イメージ

『プラトーン』は、戦争が兵士の精神にいかに深い傷、すなわちトラウマ(PTSD:心的外傷後ストレス障害)を負わせるかを描いた作品でもあります。

主人公クリスは、この「トラウマを負っていく過程」そのものを体現する存在です。

物語の序盤、彼は理想を抱いて志願してきた純粋な若者でした。しかし、初めて人を殺し、仲間の死や残虐行為を目の当たりにする中で、徐々に感覚が麻痺していきます。

兵士が極度のストレス下で見せる「1000ヤードの凝視(虚ろな目つき)」と呼ばれる表情を、彼も見せるようになります。

そして物語の終盤、エリアスの死を経て憎しみに心を支配され、最終的に自らの手でバーンズを殺害したことで、彼は戦争の狂気に完全に取り込まれてしまいました。

一方で、バーンズ軍曹自身もまた、長期的な戦闘ストレスとトラウマが生み出した「怪物」と解釈できます。

顔の傷跡が象徴するように、彼の魂は幾度もの死線を潜り抜ける中で深く傷ついています。

彼は恐怖や良心といった感情を麻痺させることでしか生き延びられなかった、PTSDの究極的な姿とも考えられるのです。

このリアルな描写は、ベトナム戦争中に実際に起きたソンミ村虐殺事件などを彷彿とさせ、単なるフィクションではない、戦争の現実として観る者に迫ります。


この物語は実話が元になっているのか

この物語は実話が元になっているのか
映画探偵イメージ

これほどまでにリアルな物語は、果たして実話なのでしょうか。結論から言うと、『プラトーン』は特定の個人や部隊の出来事を記録したドキュメンタリーではありません。

しかし、監督であるオリバー・ストーン自身のベトナム戦争での壮絶な実体験に深く根差した、極めて自伝的な物語です。

ストーン監督は、映画の主人公クリスと同じく、名門大学を中退して1967年に陸軍に志願しました。

そして、映画の舞台となった第25歩兵師団などに所属し、歩兵として約15ヶ月間、ベトナムの最前線で戦いました。

彼は戦闘で二度負傷し、名誉負傷章(パープルハート章)などの勲章も授与されています。

映画で描かれる長く過酷な行軍、見えない敵への恐怖、兵士たちの日常描写は、監督の記憶そのものです。

また、バーンズ軍曹とエリアス軍曹は実在の特定のモデルがいるわけではありませんが、監督が自身の小隊で出会った複数の軍曹たちの人格や特徴を組み合わせて創り上げた、象徴的なキャラクターであると語られています。

そのため、『プラトーン』は特定の事件を再現した「実話」ではありませんが、監督自身の血と涙の体験を通して、戦争の狂気や不条理という「本質的な真実」を、フィクションの形で見事に描き出した作品と言えます。


総括:プラトーンのバーンズは正しいのか

この記事を通して考察してきた内容を踏まえ、「プラトーンのバーンズは正しいのか」という問いに対する総括を以下にまとめます。

  • バーンズの行動は倫理的に正当化できず、戦争犯罪にあたる
  • 一方で、彼の行動は生き残りを最優先する戦場の「現実主義」とも解釈できる
  • エリアスは人間性を守ろうとする「理想主義」の象徴として描かれる
  • 二人の対立は「生存本能」と「道徳心」の間の普遍的な葛藤を体現している
  • バーンズは単なる悪役ではなく、戦争が生み出した「犠牲者」という側面も持つ
  • 映画は善悪二元論では割り切れない戦争の不条理さを観客に問いかける
  • 主人公クリスは最後にバーンズとエリアス両方を「父親」として受け入れた
  • これは人間の魂に善と悪の両方が共存することを示唆している
  • したがって「バーンズは正しいか」という問いに単一の答えは存在しない
  • この答えのない問いに向き合うこと自体が本作の深遠なテーマである

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